しばらく旅に出る。唐突にそう告げた夫を見て、妻は目を丸くした。
二言三言の説明の後に旅の理由を把握した彼女は、予想外の目的にころころと笑った。

「それで、あんたがミロの様子を見に行ってやるのかい?」

クッションに埋もれゆったりと寝そべるエスラは、やや膨らみが目立ち始めた腹を擦りながら部屋の入り口に立ったままの夫に手を伸ばす。
イツァークは請われるままに妻の横に腰掛けた。

「アイシャに行かせるわけにもいかないからな」
「ふふ、自分が羽を伸ばしてきたいだけだろう?」

ぱちん、と夫の頬をはたく。それほど力は込めていなかったが、いい音がした。

「うむ、やはりばれたか。」

顔色を変えずに言う夫に、エスラはまたころころと、口調のわりに上品な笑いを手向けた。
結婚して以来、上品な笑い声にあった上品な婦人を装っているエスラだが、こうして家庭では生来の奔放な性格を開放していた。

「あんたが爺様方の相手にうんざりしていることくらい、お見通しさ」

イツァークは、街の大家の代表として政にかかわる立場だ。
特に主を置かないこの地域で、政は7の旧家の『会議』を中心にして行われる。その7つの中に、ロンチャール家は含まれていた。
早々に息子に厄介ごとを押し付けた父は、隠居した今も昔と変わらぬ権力をもつ。しかし実際に『会議』とよばれる集会で、
長老たちと顔を並べて話し合いを行わなければいけないイツァークとしては、うんざりすることのほうが多かった。

「行っておいでよ。お義父様も、私が了解したとなれば『会議』にしばらく復帰してくれるだろう」
「親父殿も、たまには直接舌戦に参加なさりたいことだろうしな」

きっとそうさね、とエスラは笑った。

「しかしミロは災難だねえ、あんたがくるなんて、思ってもみないだろう」
「それはそうだろうな。少しは、成長していればいいんだが」
「あんまりいじめてくるんじゃないよ」

夫はただ、薄く微笑むだけだ。この調子では、彼の納得のいく成長をできていなかった場合、義弟はひどい目にあうだろう。
昔からこうだ。しかたない兄弟だねえ、と、エスラは心の中で呟いた。

「でも、わかってるよね」

立ち上がろうとした夫を引き止めた。

「この子が生まれる前に帰ってくるんだよ」

イツァークは一瞬妻の腹に目を留め、にこり、と笑った。

「無論だ」

自信に満ちた一言が、夫らしい。
エスラは欠片も心配していなかった。そうだ、この男が約束を破ったことなど終ぞないのだから。
手の甲に口付けを受け、エスラは満足そうに頷いた。