「ミロさん」
思いがけなく名前を呼ばれ、ぱちりと目を開く。
数秒の後に認識した顔には、見覚えがあった。
「こんなところで寝てて、大丈夫ですか?」
木陰で寝ていたミロの横にちょこんと腰をかけていたのは、この間の夜出会った、星読みの女性だった。
「……おはよ」
まだ半分寝ているミロは、間抜けな挨拶をした。そのせいだろう、女性はクスクスと笑いながら返答した。
「おはようございます、というには、もう夕方ですよ?こんばんは」
女性の言に、ゆっくりと上体を起こす。ぼんやりと周囲を見渡せば、青のタイルで彩られているはずの街がオレンジ色に染まっている。いまにも日が沈みそうだった。
「……あ〜ほんと、だ。良く寝たわ」
女性はさらに、クスクスと笑った。
「姉さんは……なにしてんだ?」
「……ここなら、星を見るのにいいかしら、って来たら、ミロさんが寝てたんです。全然起きないから……護衛してました。」
予想外の発言に、ミロは思わず吹きだした。頭を覆っていた眠気が、さっと晴れる。
「ぷっはは、姉さんに護衛されちまってたのか!俺も護衛廃業かな」
けらけらと笑うミロに、女性ははにかむように笑顔を返した。
「さすがに日が沈みそうだから、起こさせてもらいましたけど、本当に全然起きなくて、びっくりしたんですよ」
確かに、ミロは寝入ったらなかなか起きない。
軽く伸びをすると、こきりと関節が鳴った。
「ミロさん、いつもこうやって外で寝ているんですか?」
「ん、時間があればちょくちょくな」
他の人間からしてみれば、2mの大男が広場や水辺で昼寝をしているなど、邪魔なこと極まりないのだろうが、そんなことミロはお構いなしである。
煙草の煙が染みついた天幕での昼寝は、彼の好みではなかった。
ふいに、女性がこの間持っていた道具を前に立ち上がり、作業を始めた。
日が翳ってきたので、仕事の準備だろう。
この丸い道具の使い方は、この間教えてもらった。すっかり忘れてしまってはいるが。
分かったところで、人間であるミロが魔道具に触れることはできないのだ、覚える必要は無いと、脳が判断したようである。
大体にして、彼が興味があるのは話の内容ではないのだから。
「また仕事か、熱心だなあ。お星さんも嬉しいだろうな」
それを聞いた女性が、ふんわりと微笑む。この間も、そうだった。仕事のこと、いや星のことになると、本当に嬉しそうだ。
ふと、きらきらした綺麗な目が、道具からこちらに向いた。大きな瞳は、今にも沈もうとしている夕日の紅に染まっている。
「……それで、ミロさんはまだ寝るんですか?」
「え?」
予想外の質問に、ミロは小首をかしげる。
「だって、動かないから。まだ眠いのかなって」
「ああ……いや、流石に起きる」
流石にこの時間に二度寝はしない。しかし、今からの予定はまったくの白紙だった。
いや、いつもなら、もう少し街をぶらぶらしてから酒場に行って、適当に夜を楽しんだだろう。
しかし、今ミロの脳内にある選択肢は、いつもあまり見かけない類のものだった。
ほんの少し沈黙してから、ミロは口を開いた。
「姉さん、同じ隊商宿だろ。仕事終わるまで待ってるよ」
その言葉は、女性にとって予想外だったようだ。
「え、ええ?仕事、まだ時間かかりますよ?だいたい、作業を始めてもいないし」
彼女はあわてた様子で首を横に振る。それにあわせて、持っていた球体がからん、と音をたてた。
「気にすんなよ、どうせ暇だからさ。いくら安全な街だって、綺麗な姉さんに夜の街は一人で歩かせらんねえよ」
「え、だ、大丈夫です、仕事柄、慣れてますし。あんまり遅くなったら、知り合いの護衛さんも来てくれる、し」
「俺がいたら邪魔か?」
膝にあごを乗せ女性を見上げると、彼女の形のいい眉が、困ったように下がっている。
ミロの申し出に他意はない。ただ今日は、女性を置いて先に帰る気分ではない、というだけの話なのだ。
普段なら自分がとっくに引き下がっているだろうことに、ミロは気づかない。
「そ、そんなことないです、けど……」
「じゃ、決まりだな!おとなしく待ってるからよ、気にすんなって、な?」
ミロがニコリ、と笑いかけると、彼女は諦めたように笑い返してくれた。押しには弱いようである。
「でも、よかったらまたきかせてくれよ。姉さんの星の話。……ああ、それと!」
「え、はい!?」
とつぜん大きな声を上げたミロに、女性はびくっとなる。
「俺、実はあんたの名前聞いてないんだ。教えてくれるか?」
何事かと身構えていた女性は、そういえばそうですね、といって笑ってくれた。
「イリスです」
とぷん、と、夕日が沈んで、青の街はまた、本来の色を取り戻した。